水泳訓練時の水難事故につき、引率教師らを無罪とするに当たり、被害者らの心情等に思いを馳せた事案(名古屋高判昭和36年1月24日判時263号7頁) #蛇足

小中学校等における水泳未熟の年少者を対象とする集団的な水泳訓練については、これが指導にあたる教職員において危険防止の万全を期せねばならぬことは検察官の所論のとおりであるが、本件水難事故の原因が生徒の入水直後に起きた急激な水位の上昇と異常流にあることは前叙のとおりであつて、風波のない快晴のいわゆる海水浴日和にこのような事態の発生をみることはあまりにも稀有な現象であるから、通常人の注意力をもつてしてはとうていこれを予見しえないものといわねばならぬ。しかも学校としては予算や教職員の人的構成からする制約も免れないのであるから、このような稀有な事態に備えて万全を期することを求めるのは難きを強いることになるであろう。
 これを要するに、本件水難事故は一つに前叙の如き急激な水位の上昇と異常流の発達という不可抗力に起因するものであつて、この事態に処した被告人等の所為につき検察官の所論のような過失を認むべき証拠が十分でないから、本件は刑事訴訟法第四百四条第三百三十六条に則り被告人等に対しいずれも無罪の言渡をなすべきものとする。ただ最後に一言付言したいことは本件において、たとえそれが水の災禍とは云え、春秋に富む三十六名に及ぶ多数の女子生徒の尊い生命を一挙にして失うに至つたことはまことに悲惨の極である。多くの犠牲者の霊に対し深甚の弔意を表すると同時に、その父兄の心中もさこそと考え格別の同情を禁じ得ないのである。しかし乍らいまここで被告人等の刑事責任を追及することによつて犠牲者等の霊が瞑目されるものではなく、却つて水の恐しさにおびえつゝ慈愛に充ちた先生等の日頃の薫陶を慕いつゞけることができるであろうと考え只管その瞑福を祈る次第である。