既に児童と呼ぶべき段階まで成長した女子が股を開いてその性器を公然露出している姿を見て、所論のいうように子供の可愛い自然な姿としてほほえましく受けとめるのが今日及び古来の社会通念であるなどとは到底考えられない(東京高判昭和56年12月17日高刑集34巻4号444頁) #児童ポルノ

「その内容は、その殆どが全裸で陰部を露出した一名ないし数名の外国人男女をかなりの至近距離から撮影した多数のモノクロームの寫眞及びカラー寫真と若干の英文の説明文から成るものであるが、被写体のうち成人の男女及び未成年者のうち性的に相当成熟したと思われる者については、性器の部分が見えないように修正が施されているけれども、性的に未成熟と思われる男女児については、その殆どについて右のような修正が加えられておらず、未修正の女児の寫眞については、足を開いた姿勢で陰部を比較的大きく写したものが多く含まれており、被写体の姿勢及びカメラアングル等に徴すると、これら被写体の陰部付近をことさら強調した寫眞も少くないとし、原審検察官指摘の部分を中心に更に詳細な検討を加えたうえ、右寫眞誌は、その多くは性的に未成熟な女児についてのものであるとはいえ、陰部が露骨かつ鮮明に撮影された寫眞を含んでいる」写真誌についての猥褻物該当性について、

ところで、裁判所が文書、図画などについてわいせつ性の有無を判断する場合の基準は社会通念であるが、その社会通念は常に変動しているものといわなければならないけれども、現在においても、不特定又は多数の者の覚知し得る状態で性器を露出することは特殊な例外的場合を除いて許されないという社会通念が存在することは否定できないのであつて、その社会通念に基づいて判断すると、原判示第一の各寫眞誌は、そこに掲載されている寫真の多くが性的に未熟な女児のものであるためその程度は低いけれども、なお徒らに性欲を興奮又は刺戟せしめ、且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するものというべきであるから、右各寫眞誌が刑法一七五条のわいせつ図画にあたるとした原判決の判断は正当である。
 右の点について所論に鑑み若干付言すると、年齢的に既に児童と呼ぶべき段階まで成長した女子が股を開いてその性器を公然露出している姿を見て、所論のいうように子供の可愛い自然な姿としてほほえましく受けとめるのが今日及び古来の社会通念であるなどとは到底考えられない。

と述べた。