被告人と婚約した被害者が、クリスマスイブには、被告人以外の男にさそわれるままに夜半12時頃まで遊び歩く等、被告人に対するつめたい仕打を繰り返したことに憤慨し、被告人が被害者を刺殺した事案につき刑の執行を猶予した事例(日活国際会館愛人殺し事件・東京地判昭和33年8月8日判時161号30頁) #クリスマス

被告人は、ついに遂げ得た初恋の歓びとやがて来るべき結婚への期待に心もあかるくあれこれの準備にいそしんでいた。
ところが、他方、甲女は、かねてより、異性との交際関係多く、当時前記日活株式会社総務部文書課文書係に勤務していた丁夫(昭和四年八月十二日生)なる男性ともかなり親しい間柄となつていたが、前記のように、被告人と婚約を結ぶようになつてからも依然丁夫のことが忘れられず、ひそかに同人に思いを寄せているうち、昭和三十二年十二月頃から急激に同人と接近の度を増し、同月十九日には丁夫と同伴で都内各所を飲みあるいた末、夜半過ぎまで同人と行を共にしたり、また、同月二十四日のクリスマス前夜には、おりから風邪のため臥床中であつた被告人のもとを見舞おうともせず、丁夫にさそわれるままに夜半十二時頃まで喫茶店などを遊びあるいていた

(中略)
被告人の判示所為は刑法第百九十九条(注:殺人罪)に該当するので、所定刑中有期懲役刑を選択すべきところ、被告人は本件犯行当時心神耗弱の状態にあつたものであるから、同法第三十九条第二項、第六十八条第三号により法定の減軽をした刑期範囲内で処断すべきである。
情状を検討すると、被告人が判示のように、白昼人目も憚らずして年若き婦人を刺殺するが如きは、その理由のいかんを問わず強く非難されなければならないことはもちろんであつて、被害者甲女の遺族の心情もさこそと忍ばれるにつけ、つくづく被告人の罪責の軽視すべからざることが痛感されるのであつて、この点を強調して被告人にともかくもある程度の実刑を科することは、一見きわめて容易な措置とも言えるであろうが、本件事犯の特異性に鑑みるときは、これが果して適切妥当な科刑と断じ得るであろうか、当裁判所としては、結論としてこれに「否」と答えざるを得ない
即ち、考察するに、本件犯行に至るまでの経過は判示認定のとおりであつて、昭和二十一年春満十五歳のとき相次いで父母を喪い、その後は築地近辺にある待合の帳場係として勤めていた弟思いの長姉乙の仕送りと家庭にあつて生活を共にしていた次姉丙の配慮とによつて早稲田大学付属高等工学校土木科を無事卒業し、その後、昭和二十九年三月頃から判示日活株式会社内に職場を得た被告人は、やがてふとした機縁から勤先を同じくする意中の恋人甲女を得てこれと正式に婚約を結び、姉乙及び丙らともその初恋成就の喜びを分ちあいかつ、友人知己らの祝福を受けつつ将来の希望に胸を躍らせ、やがて来るべき挙式の吉日を指折りかぞえて待ち焦れていたさなかにあつて、突如はからずも甲女より婚約解消の申出をうけるに及び、わが身にはかかる事態を招来すべきいささかの非違も落度もない筈なのにかかわらず、元来純情でうぶな被告人は、いわば放奔多情で異性に対する技巧にたけた甲女の真意の奈辺にあるやを窺い知ることもできず、ただ兢きようとして同女の飜意方を哀訴歎願するほか、他になすすべもなく、しかもやがては甲女がかねがね同じ会社に勤めている丁夫なる青年に心を寄せていたことがその変心の原因であることを知るに及んで、失恋の悲哀と嫉妬の痛苦とはひとしお激しく被告人の心をさいなみ続け、その間甲女の言動に一喜一憂しつつ徒らに右往左往し、全く奔命に疲れ果てたあげく、ついには睡眠薬や安静剤の力を借りなくては一日も安眠できないような極度にも近い激しい神経衰弱症状に陥りながらも欠勤して休養をとるだけの心のゆとりもなく、しいて勤務を続けていたあげく、ついに判示の如くふとした出来事のために疲労困憊した神経が刺激され、感情激発してはからずも本件所行に及んだものであつて、事ここに至るまでの間既にひとたびは失恋の痛苦をわが胸ひとつに抱き、愛する甲女の幸福をその遺書のうちに祈りつつ、ひとりひそかに自己の命脈を断ち切ろうとまでした事志とたがい、再びこの世に生き永らえたため、旧に倍した苦悩と屈辱とをなめなければならなかつた被告人が、今又再度、自決に失敗し、しかも嘗ては甘んじて自己のみが犠牲になろうとしたほど至上の愛情を傾け尽してやまなかつた愛人甲女を今やむごたらしくも白日下衆目に曝されながら殺害し去つた廉により囹圄のうちにその断罪を待ちつつある被告人の姿には人をして暗然たらしめる深刻な苦悩の跡が現われている。(因に、領置してある前掲博文館当用日記及び日記帳各一冊中の記載によれば、本件被害者甲女においても、また、自己と被告人及び判示丁夫との間のいわゆる三角関係を清算するため心中ひそかに煩悶焦慮した跡が窺えることは、まことに検察官指摘のとおりであるが、かかるいわば「選ぶ者」の持つ苦痛は、被告人の如く「選ばれて捨てられる者」のなめる苦悩に対し、その深刻さにおいてとうてい比しうべくもないことはもち論である)。
今や被告人は、日毎囚房のうちにあつて深く悔悟し、ひたすら被害者の冥福を祈念しているものと認められ、その家族も、また、被告人に代り被害者の遺族に対して誠意を披れきし、些かなりとも慰藉の途を講じ、かつ、将来、被告人ともども機会あるごとにこれを続けようと誓つている。
事情かくの如きをつぶさに検討し、あわせて被告人の経歴、性格年令、家庭の状況、更には、また、被害者甲女の性格、素行及び被告人に対するその言動等諸般の情状を勘案斟酌すれば、この際被告人を遇するにたやすく実刑を以てするよりもむしろ相当期間刑の執行を猶予することにより心ならずも再度の自決を阻まれた被告人をして今一度明るい誠実なこの世の道を歩ましめ、生命の尊厳とその貴重さとを身を以て体験せしめることにより、この生命を損い、又は損おうとした自己の愚劣さを心底より会得懺悔させる機縁を与えることこそ真に刑政の本義に合致した措置であるといえるし、また、かくすることがかえつて被害者甲女の冥慮を慰め、ひいてはその遺族の心情をも末永く和げる最良の方途といわなければならない。(因に、近来における人命軽視の憂うべき風潮については、厳にこれを戒むべき必要があることは、これ、また、もとより検察官所論のとおりであるが、さればといつて、かかる配慮に急なるのあまり、個個の案件における審理の結果明らかにされた具体的、個別的な経緯、情状を看過し、又は不当にこれを過少評価し、誰彼れの差別なく一律に一罰百戒の厳罰主義をもつて事に臨むようなことにならないよう裁判所として特に慎重を期さなければならないことは、今さら言うまでもないところである)。
よつて、当裁判所は、本件につき被告人を懲役三年に処し、刑法第二十五条第一項第一号に則り、この裁判が確定した日から四年間右刑の執行を猶予すべく、訴訟費用は刑事訴訟法第百八十一条第一項本文により全部被告人に負担させることとし、主文のとおり判決する。

但し控訴審実刑に(東京高判昭和33年12月25日判例時報174号31頁)。