宿泊合宿で女子生徒の部屋に侵入したため、教諭に頭部等を殴られ、廊下に倒れて顎から出血する等の傷害を負い、約1週間後に死亡した事案について死亡との因果関係は認められなかったが、負傷につき損害賠償請求が認容された事例(長崎地判平成7年10月17日判タ901号160頁) #死亡事例

町立中学の教諭が教え子である児童に対し、猥褻行為をしたうえ海岸に連れ出して殺害したという事件について、教育活動という職務を行うについてされたものとして学校側の損害賠償責任が認められた事案(広島地呉支判平成5年3月19日判タ824号132頁) #死亡事例

教師が生徒を投げつけ、畳に後頭部を打ち付けて生徒を死亡させた傷害致死事件につき、指導のためになされた行為であるという面を有しているが違法性は阻却されないとして有罪とした事案(金沢地判昭和62年8月26日判時1261号141頁) #死亡事例

高校教員が校則に違反してヘアードライヤーを使用した生徒に対して「体罰」を加え死亡させた事案につき、死亡に至らしめた暴行自体は、教育的懲戒とおよそ無縁と断じ、懲役3年の実刑が言い渡された事例(水戸地土浦支判昭和61年3月18日判タ589号142頁) #死亡事例

体罰事件を起こした児童福祉施設側が「(学校教育法11条が適用されない)児童福祉施設では体罰が許容されている」と主張したが、当然のごとく退けられた事案(千葉地判平成19年12月20日) #体罰

教員が生徒を殴る、胸ぐらを掴む等の有形力を行使することについて、目的、態様、継続時間等から判断して、教員が児童に対して行うことが許される教育的指導の範囲を逸脱する体罰と教育的指導の範囲内の単なる懲戒権の行使に分け、体罰に該当する行為は禁止されているが、単なる懲戒権の行使であればそれが有形力の行使でも可能とした事案(最判平成21年4月28日民集63巻4号904頁)

1 本件は,B市の設置する公立小学校(以下「本件小学校」という。)の2年生であった被上告人が,本件小学校の教員から体罰を受けたと主張して,B市の地位を合併により承継した上告人に対し,国家賠償法1条1項に基づく損害賠償を求める事案である。
 2 原審の適法に確定した事実関係の概要は,次のとおりである。
 (1) 被上告人は,平成14年11月当時,本件小学校の2年生の男子であり,身長は約130cmであった。Aは,その当時,本件小学校の教員として3年3組の担任を務めており,身長は約167cmであった。Aは,被上告人とは面識がなかった。
 (2) Aは,同月26日の1時限目終了後の休み時間に,本件小学校の校舎1階の廊下で,コンピューターをしたいとだだをこねる3年生の男子をしゃがんでなだめていた。
 (3) 同所を通り掛かった被上告人は,Aの背中に覆いかぶさるようにして肩をもんだ。Aが離れるように言っても,被上告人は肩をもむのをやめなかったので,Aは,上半身をひねり,右手で被上告人を振りほどいた。
 (4) そこに6年生の女子数人が通り掛かったところ,被上告人は,同級生の男子1名と共に,じゃれつくように同人らを蹴り始めた。Aは,これを制止し,このようなことをしてはいけないと注意した。
 (5) その後,Aが職員室へ向かおうとしたところ,被上告人は,後ろからAのでん部付近を2回蹴って逃げ出した。
 (6) Aは,これに立腹して被上告人を追い掛けて捕まえ,被上告人の胸元の洋服を右手でつかんで壁に押し当て,大声で「もう,すんなよ。」と叱った(以下,この行為を「本件行為」という。)。
 (7) 被上告人は,同日午後10時ころ,自宅で大声で泣き始め,母親に対し,「眼鏡の先生から暴力をされた。」と訴えた。
 (8) その後,被上告人には,夜中に泣き叫び,食欲が低下するなどの症状が現れ,通学にも支障を生ずるようになり,病院に通院して治療を受けるなどしたが,これらの症状はその後徐々に回復し,被上告人は,元気に学校生活を送り,家でも問題なく過ごすようになった。
 (9) その間,被上告人の母親は,長期にわたって,本件小学校の関係者等に対し,Aの本件行為について極めて激しい抗議行動を続けた。
 3 原審は,上記事実関係の下において,次のとおり判断して,被上告人の上告人に対する請求を慰謝料10万円等合計21万4145円及び遅延損害金の支払を命ずる限度で認容した。
 [1]胸元をつかむという行為は,けんか闘争の際にしばしば見られる不穏当な行為であり,被上告人を捕まえるためであれば,手をつかむなど,より穏当な方法によることも可能であったはずであること,[2]被上告人の年齢,被上告人とAの身長差及び両名にそれまで面識がなかったことなどに照らし,被上告人の被った恐怖心は相当なものであったと推認されること等を総合すれば,本件行為は,社会通念に照らし教育的指導の範囲を逸脱するものであり,学校教育法11条ただし書により全面的に禁止されている体罰に該当し,違法である。
 4 しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。
 前記事実関係によれば,被上告人は,休み時間に,だだをこねる他の児童をなだめていたAの背中に覆いかぶさるようにしてその肩をもむなどしていたが,通り掛かった女子数人を他の男子と共に蹴るという悪ふざけをした上,これを注意して職員室に向かおうとしたAのでん部付近を2回にわたって蹴って逃げ出した。そこで,Aは,被上告人を追い掛けて捕まえ,その胸元を右手でつかんで壁に押し当て,大声で「もう,すんなよ。」と叱った(本件行為)というのである。そうすると,Aの本件行為は,児童の身体に対する有形力の行使ではあるが,他人を蹴るという被上告人の一連の悪ふざけについて,これからはそのような悪ふざけをしないように被上告人を指導するために行われたものであり,悪ふざけの罰として被上告人に肉体的苦痛を与えるために行われたものではないことが明らかである。Aは,自分自身も被上告人による悪ふざけの対象となったことに立腹して本件行為を行っており,本件行為にやや穏当を欠くところがなかったとはいえないとしても,本件行為は,その目的,態様,継続時間等から判断して,教員が児童に対して行うことが許される教育的指導の範囲を逸脱するものではなく,学校教育法11条ただし書にいう体罰に該当するものではないというべきである。したがって,Aのした本件行為に違法性は認められない。
 5 以上と異なる原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は理由があり,原判決のうち上告人敗訴部分は,破棄を免れない。そして,以上説示したところによれば,上記部分に関する被上告人の請求は理由がないから,同部分につき第1審判決を取り消し,同部分に関する請求を棄却すべきである。

生徒の前額部付近を平手で一回押すようにたたいたほか、軽く握った拳を握り下ろして同人の頭部をこつこつと数回たたいたという暴行は体罰といえる程度にまで達していたとはいえず正当業務行為として無罪を言い渡した事案(東京高判昭和56年4月1日判タ442号163頁)

 (一) 刑法二〇八条の暴行罪にいう「暴行」とは、人の身体に対する有形力の不法な行使をいうものと一般に解されている。そこで、被告人の本件行為が暴行罪にあたるか否かを検討してみると、その行為の具体的態様は、前記二の(二)において認定説示したとおりであつて、その程度は、比較的小柄なAに身長、体重ともに勝つた被告人の体格を考慮に入れても、はなはだ軽微なものといわなければならないが、この程度の行為であつても、人の身体に対する有形力の行使であることに変わりはなく、仮にそれが見ず知らずの他人に対しなされたとした場合には、その行為は、他に特段の事情が存在しない限り、有形力の不法な行使として暴行罪が成立するものといわなければならない。
  (二) ところで本件行為は、前に説示したように、体力診断テストの開始に先立つ準備段階の時点で、教師である被告人によつて生徒のAに対し教育上の生活指導の一環として行う意図でなされたものと認むべきものであり、また、その行為の態様自体もそのような意味・性格をもつた行動としての外形を備えていると認むべきものであるところ、学校教育法一一条は、「校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、監督庁の定めるところにより、学生、生徒及び児童に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。」と規定し、教師が生徒に対して体罰にわたらない限り懲戒することを認めており、右の懲戒には、退学・停学及び訓告等の処分を行うこと、すなわち法律上の懲戒をすることのほか、当該学校に在学する生徒に対し教育目的を達成するための教育作用として一定の範囲内において法的効果を伴わない事実行為としての教育的措置を講ずること、すなわち事実行為としての懲戒を加えることをも含まれていると解されるのであるから、被告人の本件行為が果たして学校教育法による正当な懲戒行為として法の許容するところのものであるのか、あるいは、有形力の「不法な」行使として違法性を有するものであるのかについて、更に検討を加えなければならない。
 そこでまず、教師が学校教育法に基づき生徒に対して加える事実行為としての懲戒行為の法的な性質を考えてみると、右懲戒は、生徒の人間的成長を助けるために教育上の必要からなされる教育的処分と目すべきもので、教師の生徒に対する生活指導の手段の一つとして認められた教育的権能と解すべきものである。そして学校教育における生活指導上、生徒の非行、その他間違つた、ないしは不謹慎な言動等を正すために、通常教師によつて採られるべき原則的な懲戒の方法・形態としては、口頭による説諭・訓戒・叱責が最も適当で、かつ、有効なやり方であることはいうまでもないところであつて、有形力の行使は、そのやり方次第では往往にして、生徒の人間としての尊厳を損ない、精神的屈辱感を与え、ないしは、いたずらに反抗心だけを募らせ、自省作用による自発的人間形成の機会を奪うことになる虞れもあるので、教育上の懲戒の手段としては適切でない場合が多く、必要最小限度にとどめることが望ましいといわなければならない。しかしながら、教師が生徒を励ましたり、注意したりする時に肩や背中などを軽くたたく程度の身体的接触(スキンシップ)による方法が相互の親近感ないしは一体感を醸成させる効果をもたらすのと同様に、生徒の好ましからざる行状についてたしなめたり、警告したり、叱責したりする時に、単なる身体的接触よりもやや強度の外的刺激(有形力の行使)を生徒の身体に与えることが、注意事項のゆるがせにできない重大さを生徒に強く意識させると共に、教師の生活指導における毅然たる姿勢・考え方ないしは教育的熱意を相手方に感得させることになつて、教育上肝要な注意喚起行為ないしは覚醒行為として機能し、効果があることも明らかであるから、教育作用をしてその本来の機能と効果を教育の場で十分に発揮させるためには、懲戒の方法・形態としては単なる口頭の説教のみにとどまることなく、そのような方法・形態の懲戒によるだけでは微温的に過ぎて感銘力に欠け、生徒に訴える力に乏しいと認められる時は、教師は必要に応じ生徒に対し一定の限度内で有形力を行使することも許されてよい場合があることを認めるのでなければ、教育内容はいたずらに硬直化し、血の通わない形式的なものに堕して、実効的な生きた教育活動が阻害され、ないしは不可能になる虞れがあることも、これまた否定することができないのであるから、いやしくも有形力の行使と見られる外形をもつた行為は学校教育上の懲戒行為としては一切許容されないとすることは、本来学校教育法の予想するところではないといわなければならない。
  (三) そこで右のように事実行為としての懲戒に有形力の行使が含まれると解した場合、次に、その許容される程度ないし範囲がどのようなものでなければならないかが問われなければならない。事実行為としての懲戒はその方法・態様が多岐にわたり、一義的にその許容限度を律することは困難であるが、一般的・抽象的にいえば、学校教育法の禁止する体罰とは要するに、懲戒権の行使として相当と認められる範囲を越えて有形力を行使して生徒の身体を侵害し、あるいは生徒に対して肉体的苦痛を与えることをいうものと解すべきであつて、有形力の内容、程度が体罰の範ちゆうに入るまでに至つた場合、それが法的に許されないことはいうまでもないところであるから、教師としては懲戒を加えるにあたつて、生徒の心身の発達に応ずる等、相当性の限界を越えないように教育上必要な配慮をしなければならないことは当然である。そして裁判所が教師の生徒に対する有形力の行使が懲戒権の行使として相当と認められる範囲内のものであるかどうかを判断するにあたつては、教育基本法、学校教育法その他の関係諸法令にうかがわれる基本的な教育原理と教育指針を念頭に置き、更に生徒の年齢、性別、性格、成育過程、身体的状況、非行等の内容、懲戒の趣旨、有形力行使の態様・程度、教育的効果、身体的侵害の大小・結果等を総合して、社会通念に則り、結局は各事例ごとに相当性の有無を具体的・個別的に判定するほかはないものといわざるをえない。
(四) そこで本件についてこれをみると、先に認定説示したとおり、本件行為の動機・目的は、Aの軽率な言動に対してその非を指摘して注意すると同時に同人の今後の自覚を促すことにその主眼があつたものとみられ、また、その態様・程度も平手及び軽く握つた右手の拳で同人の頭部を数回軽くたたいたという軽度のものにすぎない。そして、これに同人の年令、健康状態及び行つた言動の内容等をも併せて考察すると、被告人の本件行為は、その有形力の行使にあたつていたずらに個人的感情に走らないようその抑制に配慮を巡らし、かつ、その行動の態様自体も教育的活動としての節度を失わず、また、行為の程度もいわば身体的説諭・訓戒・叱責として、口頭によるそれと同一視してよい程度の軽微な身体的侵害にとどまつているものと認められるのであるから、懲戒権の行使としての相当性の範囲を逸脱してAの身体に不当・不必要な害悪を加え、又は同人に肉体的苦痛を与え、体罰といえる程度にまで達していたとはいえず、同人としても受忍すべき限度内の侵害行為であつたといわなければならない。もつとも、同人の本件程度の悪ふざけに対して直ちにその場で機を失することなく前示のような懲戒行為に出た被告人のやり方が生徒に対する生活指導として唯一・最善の方法・形態のものであつたか、他にもつと適切な対処の仕方はなかつたかについては、必ずしも疑問の余地がないではないが、本来、どのような方法・形態の懲戒のやり方を選ぶかは、平素から生徒に接してその性格、行状、長所・短所等を知り、その成長ぶりを観察している教師が生徒の当該行為に対する処置として適切だと判断して決定するところに任せるのが相当であり、その決定したところが社会通念上著しく妥当を欠くと認められる場合を除いては、教師の自由裁量権によつて決すべき範囲内に属する事項と解すべきであるから、仮にその選択した懲戒の方法・形態が生活指導のやり方として唯一・最善のものであつたとはいえない場合であつたとしても、被告人が採つた本件行動の懲戒行為としての当否ないしはその是非の問題については、裁判所としては評価・判断の限りではない。そして関係証拠によつて認められる本件の具体的状況のもとでは被告人が許された裁量権の限界を著しく逸脱したものとは到底いえないので、結局、被告人の本件行為は、前述のように、外形的にはAの身体に対する有形力の行使ではあるけれども、学校教育法一一条、同法施行規則一三条により教師に認められた正当な懲戒権の行使として許容された限度内の行為と解するのが相当である。

派生事案として教師の体罰が正当な懲戒権行使の範囲内にあるとされた暴行罪の無罪判決が確定しているのにもかかわらず、これを疑問として執筆された体罰批判の論稿による名誉毀損について違法性阻却が認められた事例(水戸地判平成元年10月27日判例タイムズ736号202頁、同平成元年2月28日判例タイムズ698号246頁)がある。

中学校教師の生徒に対する体罰につき慰謝料請求を認容する際に、軍国主義教育への反省等の立法経緯等から体罰が厳禁されていると明言し、体罰が一切禁止されていることを改めて確認した事例(東京地判平成8年9月17日判例タイムズ919号182頁)

 学校教育法第一一条は、校長及び教員が学生、生徒及び児童に対し懲戒を加えることを認める反面、体罰を加えることを禁止している。戦前、わが国において、軍国主義教育の一環として、体罰を用いた国家主義思想の強制がなされ、これによって民主主義と自由な議論の芽が摘み取られていったのであり、その反省として、昭和二二年に制定された右学校教育法により、教育の場において体罰を懲戒手段として用いることを禁止することとしたことは、当裁判所が改めて述べるまでもない歴史的事実である。しかし、戦後五〇年を経過するというのに、学校教育の現場において体罰が根絶されていないばかりか、教育の手段として体罰を加えることが一概に悪いとはいえないとか、あるいは、体罰を加えるからにはよほどの事情があったはずだというような積極、消極の体罰擁護論が、いわば国民の「本音」として聞かれることは憂うべきことである。教師による体罰は、生徒・児童に恐怖心を与え、現に存在する問題を潜在化させて解決を困難にするとともに、これによって、わが国の将来を担うべき生徒・児童に対し、暴力によって問題解決を図ろうとする気質を植え付けることとなる。しかも、前記一認定の被告甲の原告乙に対する体罰は、その態様を見てみると、教師と生徒という立場からも、また体力的にも、明らかに優位な立場にある教師による授業時間内の感情に任せた生徒に対する暴行であり、およそ教育というに値しない行為である。当裁判所は、当然のことではあるが、体罰が学校教育の場において一切禁止されていることを改めて確認し、かつ、本件で問題になった体罰が右のようなものであることを前提として、以下に判断を示すこととする。

校則違反のスカート丈を注意したが、口答えと受け取れるような言動をした女子生徒に激怒し、顔面を平手打ちにし、肩部付近を突き、さらに左手で頭部付近を突き上げ、被害者の頭部をコンクリート柱等に激突させ死亡させた教師を有罪とした事例(福岡高判平成8年6月25日判例タイムズ921号297頁)

高校生に対する生活指導を含め教育の現場においては当然のことながら対象者の人格の完成度が低い故に多大の忍耐力が要求されることは多言を要しないところであり、生徒に対する懲戒権について定めた学校教育法一一条がただし書で体罰を禁止しているのは、体罰がとかく感情的行為と区別し難い一面を具有している上、それらを加えられる者の人格の尊厳を著しく傷つけ、相互の信頼と尊敬を基調とする教育の根本理念と背馳しその自己否定につながるおそれがあるからであって、問題生徒の数が増え問題性もより深化して教師の指導がますます困難の度を加えつつある原状を前提としても、その趣旨は学校教育の現場においてなによりも尊重、遵守されなければならないことはいうまでもない。ましてや、生徒が反抗的態度を取ったからと言って、教師が感情的になって暴行を振るうことは厳に戒められるべきことである。

市立中学校生徒の非行につき、担任教師らが体罰として、砂浜に首まで生き埋めにしたことにつき違法として国家賠償責任を認めたが、丸刈りにさせたことは違法ではないとされた事例(福岡地判平成8年3月19日判例時報1605号97頁)

(一)まず、本件砂埋めが、学校教育法一一条ただし書にいわゆる「体罰」に当たるか否かにつき検討する。
 右にいわゆる「体罰」とは、事実行為としての懲戒のうち、被懲戒者に対して肉体的苦痛を与えるものをいい、その判断に当たっては、教師の行った行為の内容に加え、当該生徒の年齢、健康状態、場所的、時間的環境等諸般の事情を総合考慮すべきものと解されるところ、本件砂埋めは、日没後の午後八時過ぎころ、小雨が断続的に降るという天候の下、人気のない暗い海岸の砂浜において、直径約九〇センチメートル、深さ約六〇センチメートルの穴を掘って、その中に当時満一三歳の少年であった原告を入らせて座らせ、首まで砂を被せて約一五分間にわたり埋めたというものであって、原告に肉体的苦痛を与えるものであることは容易に推認でき、本件砂埋めが学校教育法一一条ただし書にいう「体罰」に該当することは明らかである。
(二)次に、本件砂埋めの違法性の有無について検討する。
 被告らは、本件砂埋めは、外形的には身体に対する有形力の行使ではあるが、原告と被告教諭らを取り巻く本件の具体的状況ないし諸条件の下では、真にやむを得なかったものであり、社会的許容範囲を超えた違法不当なものであるとまではいえないと主張している(第二の二2(一))。
 しかしながら、学校教育法一一条ただし書が体罰の禁止を規定した趣旨は、いかに懲戒の目的が正当なものであり、その必要性が高かったとしても、それが体罰としてなされた場合、その教育的効果の不測性は高く、仮に被懲戒者の行動が一時的に改善されたように見えても、それは表面的であることが多く、かえって内心の反発などを生じさせ、人格形成に悪影響を与えるおそれが高いことや、体罰は現場興奮的になされがちでありその制御が困難であることを考慮して、これを絶対的に禁止するというところにある。したがって、教師の行う事実行為としての懲戒は、生徒の年齢、健康状態、場所的及び時間的環境等諸般の事情に照らし 被懲戒者が肉体的苦痛をほとんど感じないような極めて軽微なものにとどまる場合を除き、前示の体罰禁止規定の趣旨に反するものであり、教師としての懲戒権を行使するにつき許容される限界を著しく逸脱した違法なものとなると解するのが相当である。
 これを本件についてみるに、前示のように、本件砂埋めの拝啓には甲中事件の反省を求めるなどのため原告に対し指導を行う必要があったこと、本件砂埋めをする前に相当の口頭指導をしたにもかかわらず原告が事実を認めようとしなかったこと、被告乙らは原告を砂に埋める際に同人が我をしないように注意を払いながら埋め、埋めた後も穴の後方から原告に危険が及ばないよう注意していたことなどが認められるが、本件砂埋めは、前示のとおりのものであり、肉体的苦痛を感じないような極めて軽微な態様のものではないし とりわけ原告に与える屈辱感等の精神的苦痛は相当なものがあったというべきであって、前示のとおりの背景等があったとしても、教師としての懲戒権を行使するにつき許容される限界を著しく逸脱した違法なものであり、違法性が阻却されることはないといわざるを得ない。
 したがって、被告らの違法性阻却の主張は採用できない。

(中略)
丙中事件についての謝罪方法を協議した際には、加害生徒の保護者から丸刈りにして謝罪することが提案され、加害生徒ら自身も他の保護者もこれに同意していたこと、その態度により丙中被害生徒の保護者らも謝罪を受け入れてくれたこと、その翌日に発生した甲中事件につき同月一八日に開催された協議会において他の加害生徒らの保護者は積極的に加害生徒らを丸刈りにすることに賛同していること、翌一九日に原告らもこのような経過を丁川校長から説明され、また、丙中事件における謝罪に際して丸刈りとなった丁及び戊が原告らも丸刈りとなるよう求めたこと、原告はこれらに対し特に拒否するような言動はしておらず、また、実際に頭髪を刈られる際にもバリカンが引っ掛かって痛がったものの丸刈り自体を拒否する様子はなかったことなどの事情を総合すれば、原告は、乙中へ謝罪に行くに際し、誠意を示すために頭髪を丸刈りとするなどして謝罪に赴くこともやむを得ないと納得し、丸刈りになることを承諾したと認めるのが相当である。そして、原告は当時まもなく満一四歳となる年齢であったことからすると、丙中事件や乙中事件に対する戊校長、被告教諭ら及び関係生徒の保護者らの対応を見て、事の重大さや自己がいかなる立場に置かれているかをそれなりに認識していたものと思われるから、原告の右承諾は相応の意義を有するものである。また、(注原告の親である)己の同意を得ていないことについても、前示の経緯に照らせばこれを一概に非難することはできないものというべきである。そうすると、本件丸刈りに違法性は認められない。

頭髪を脱色した中学生を保健室で染色させた行為につき本人が抵抗せず、方法態様も身体拘束肉体的苦痛はなかったことから、教員が生徒に対して行うことが許される教育的指導の範囲を逸脱していない有形力として違法性はないとした事案(大阪地判平成23年3月28日判タ1377号114頁)

 ア 甲中学校においては、平成一三年度以降、生徒の問題行動が目立ち始め、生徒が逮捕されるなどの事件が発生するなどしていた。特に、頭髪を脱色・染色したり、化粧やピアスをしたり、服装の乱れが目立つ生徒に対しては、これらの乱れが生徒の問題行動に発展する可能性があることから、頭髪や服装に係る指導に力を入れていた。これらの生徒指導の目的は、学校教育法等の趣旨に照らしても、もとより正当なものである。
 イ 原告乙は、平成一八年四月(二学年一学期)ころから、服装が乱れ始め、まゆ毛を細く剃ったり、化粧をしたり、頭髪を脱色するなどして、甲中学校の生徒心得や服装規定といった校則に明らかに違反し始めた。これに対し、甲中学校の教員らは、繰り返し頭髪の色や服装に関する指導を粘り強く続けた。その間、原告乙は、職員室で化粧を落としたり、自宅で自ら頭髪を黒色に染め戻すなどして、これらの指導に応じたこともあったが、しばらくすると、また頭髪を脱色等したり、ピアスの穴を空けるなどし、長期間に渡り、継続して校則違反をし続けたのである。
 他方、原告乙の母親である原告丙は、同年七月の保護者面談において、原告乙の生活態度等につき注意を受けたほか、平成一九年一月にも、原告乙の生活態度等に改善が見られない旨の電話連絡を受けた。それにもかかわらず、原告丙や原告丁は、原告乙の幾多の校則違反について、家庭内で指導し、これを改善させることができなかった。
 ウ 原告乙は、本件染髪行為の当日、本件染髪行為が実施されることを認識しながら、自らみどり学級の教室や保健室を訪れた。その際、保健室が施錠されていると知るや、わざわざ職員室へ出かけて、教員とともに保健室に再び赴いて、教員が部屋の鍵を開けるのを待って、一緒に入室している。原告乙は、これに先立ち、二回に渡り、自ら頭髪を黒色に染めた経験があったから、染髪行為の何たるかについては、よく理解できていたといえる。本件染髪行為の間も、特に抵抗することはなかったし、途中で同級生と会話するなど、本件染髪行為を拒絶するような行動をとった形跡もない。これらの事実に照らすならば、原告乙は、本件染髪行為に同意し、これを受け入れていたと認められる。
 また、本件染髪行為は、複数の教員が関与し、一時間程度の時間をかけて行われた行為であるが、制服の汚れを防止したり、耳をラップで保護したりするなど、相当と認められる方法で実施されたと評価できる。その方法や態様を見ると、原告一江の身体を拘束したり、肉体的な苦痛を与えたりするものでもない。

 エ 以上検討したところによれば、本件染髪行為の趣旨・目的は、生徒指導の観点から見てもとより正当なものである。当時、原告一江の頭髪の脱色や染色に関する本人の自発的な改善の見込みはなく、原告丁や原告丙による家庭内における指導・改善にこれ以上期待することも困難であったといわざるを得ない。
 本件染髪行為は、そのような状況の下で、しかも、原告乙(当時一四歳)の任意の承諾の下で実施されたものである。その方法・態様や、継続時間を見ても、社会的に相当と認められる範囲内のものであったというべきである。

担任教師が児童の右頬をつねったが、その目的・態様・継続時間・両者の関係・背景・その後の影響等に鑑み、教育的指導の範囲を逸脱するものではなく体罰に該当しない違法ではない行為とした事案(大阪高判平成21年6月25日)

本件において認められる被控訴人甲が控訴人の右頬をつねった行為(以下「本件つねり行為」という。)については,控訴人に対する有形力の行使に当たる。しかしながら,前記のとおり,控訴人には以前から授業中の私語や立ち歩きなどがあってその言動に特に教育的指導を要する状態であり,被控訴人甲もその指導に苦慮していたところ,当日は,控訴人とAの殴り合い蹴り合いのけんかを止めるため,控訴人から蹴られ,悪態をつかれながらも何とか両者を引き離し,引き続いてけんかの原因を確認している最中にも,なおも興奮して被控訴人甲に暴言を吐く控訴人に対し,この口が悪いなどとしてなされた行為であって,被控訴人甲は,けんか相手がいなくなってもまだ興奮した状態で暴言を吐き続ける控訴人に対し,興奮を収めさせ,その言動を制止するという指導目的から,本件つねり行為を行ったものと認められる。被控訴人甲は,これまでも控訴人の問題行動への対応に苦慮しており,さらに自分も蹴られたり暴言を吐かれたりしていたことから,かかる行為を行ったものであることがうかがわれ,本件行為は些か穏当を欠くものであったといわざるを得ないが,その目的が上記のとおりであることは否定されないというべきである。また,前記のとおり,本件つねり行為の態様は,51歳の女性教員が,興奮して暴言を吐き続ける小学校6年の活発な男子児童に対し,利き腕でない左手の親指と人差し指で右頬を1,2秒つねるというものであり,到底爪を立てるなど傷害を負わせるような態様であったとは認められない。その結果についても,控訴人が何らかの傷害を負ったとは認められず,また,控訴人も,つねられたことを直ちに両親に訴えることもなく,両親に言うまでの約1か月間,それまでと変わらず通学し,学校での態度も,それまでと変わらないものであったことが認められる。
    そうすると,被控訴人甲の本件つねり行為については,児童に対する有形力の行使ではあるが,上記のようなその目的,態様,継続時間のほか,両者の関係,背景やその後の影響等からすると,教員が児童に対して行うことが許される教育的指導の範囲を逸脱するものではなく,学校教育法11条ただし書にいう体罰に該当するものではないというべきである。したがって,本件つねり行為に違法性は認められない。

食堂で食器を片付けなかった高校生徒に教師が注意する際、生徒の胸ぐらを掴むなどした行為は「暴行」には該当するものの、生活指導上の行為であって、正当な業務行為の範囲を逸脱したとはいえないとして,無罪を言い渡した事例(横浜地判平成20年11月12日)

一般に,未成年である生徒に対して,体罰を含む有形力を行使することは,生徒に肉体的,精神的な苦痛を与えるだけでなく,それが心の傷として長く残り,生徒に屈辱感・自虐感を持たせたり,自尊感情を減退させるなど,心の健全な成長を阻害するおそれがあるとされている上,立場が上の者の暴力であれば容認され,下の者の暴力は禁止されるのは不合理であるとの不満を抱かせたり,目下の者に対しては暴力を振るってもよいなどという誤った価値観を植え付けるおそれもあり,さらには教職員に強く反発して却ってその指導に従わなくなったり,生徒間でも安易に力で解決する風潮を生じさせることもあるので,できる限り有形力の行使は避けることが望ましいことは論をまたないところである。
 2 なお,平成19年2月5日付け文部科学省初等中等教育局長通知「問題行動を起こす児童生徒に対する指導について」(18文科初第1019号)には,「学校教育法第11条に規定する児童生徒の懲戒・体罰に関する考え方」と題する文書が添付されている。この文書は,児童生徒の問題行動は学校のみならず社会問題となっており,学校がこうした問題行動に適切に対応し,生徒指導の一層の充実を図ることができるよう,文部科学省として,懲戒及び体罰に関する裁判例の動向等も踏まえ,取りまとめたものであると説明されている。本件は前記のとおり生徒に対する体罰や懲戒の事案ではないが,この文書は学校現場における有形力の行使に関する指針となるもので,本件においても一応参考となるものである。しかしながら,同文書では,懲戒としての有形力の行使について,「児童生徒に対する有形力(目に見える物理的な力)の行使により行われた懲戒は,その一切が体罰として許されないというものではなく,裁判例においても『いやしくも有形力の行使と見られる外形をもった行為は学校教育法上の懲戒行為としては一切許容されないとすることは,本来学校教育法の予想するところではない』としたもの(昭和56年4月1日東京高裁判決),『生徒の心身の発達に応じて慎重な教育上の配慮のもとに行うべきであり,このような配慮のもとに行われる限りにおいては,状況に応じ一定の限度内で懲戒のための有形力の行使が許容される』としたもの(昭和60年2月22日浦和地裁判決)などがある。」(1(4))との一般論が示されているが,その具体例の記載は乏しく,「他の児童生徒に被害を及ぼすような暴力行為に対して,これを制止したり,目前の危険を回避するためにやむを得ずした有形力の行使についても,同様に体罰に当たらない。これらの行為については,正当防衛,正当行為等として刑事上又は民事上の責めを免れうる。」(1(6))などという当然の事例が記載されているだけであって,本件のような場合における有形力の行使の可否・程度について触れている部分はなく,その通知の基準に照らして被告人の行為が許容されないものであるか否かは明らかであるとはいえない。また,教育現場での有形力の行使に関する考え方としては,教職員は生徒に懲戒を加える場合であっても体罰を加えることはできないとされていることにかんがみると,教職員が教育の現場において生徒に対し暴行した場合に,その暴行がやむを得ないものと評価されるためには,その生徒が人の生命・身体に現に危害を及ぼしているか又はこれを及ぼす具体的な可能性があり,かつ,その暴行がその生命・身体に対する危難を避けるために必要であるなどのような例外的事情がある場合に限られると解すべきであるとする立場もあるが,有形力の行使がそのような正当防衛,緊急避難の状況に類する場合のみ許されるという根拠は乏しい。すなわち,生徒が授業中に無断で教室を抜け出したりすれば,生徒の腕を掴んで教室に連れ帰る程度のことは当然許容されるべきであり,また,校庭でバイクや音響機器を使って授業を妨害するほどの騒音を出している生徒がいるような場合には,それを制止するため一時的に生徒の体を押さえ付けたり,生徒の体を押すなどして校庭から追い出すことまで一切許されないなどと解することは社会常識にもそぐわない。有形力の行使の許否,許される程度等については,当事者の地位・関係,有形力の行使の動機・目的,態様,結果等を総合し,前記のような有形力の行使が生徒に与える悪影響等をも十分考慮し,その行為がされた当時の状況下において,社会の健全な常識に照らして許容される範囲内の行為であるか否かを個別に判断するほかはない。

中学校のクラブ活動中に顧問教諭が女子生徒を1回蹴ったことが,注意や体罰を与えるためではなく,親しみを込める気持でされたとしても国家賠償法上違法な行為に当たるとした事例(東京高判平成17年12月22日判タ1237号285頁)

ア 平成12年9月27日午後5時過ぎころ,甲中学校剣道部の部活動中,一審原告乙が剣道場において友人と話をしていたところ,丙教諭が,同一審原告の背後から,同一審原告が痛みを感じる程度の強さで,稽古着,垂れを着用した上からその左腰辺りを1回蹴った(以下「本件暴行」という。)。
 イ 一審原告乙は,痛みが消えないので間もなく下校し,丁に一部始終を話し,丁と共に戊整形外科へ赴き診療を受けた。そして,同日夜,丁が,丙教諭の自宅に電話をかけ,同教諭が同一審原告の腰部を蹴ったことについて苦情を述べたところ,同教諭は,「痛みを与えてしまったのなら申し訳ない。明日管理職に報告し,謝罪に伺います。」と答えた。翌28日午後7時30分ころ,丙教諭は,同教諭から説明を受けた校長と共に一審原告らの自宅を訪れ,謝罪した。
 ウ 丙教諭が一審原告乙を蹴ったいきさつについて,丙教諭の陳述書には,一審原告乙が友人に「ああ疲れた,私も年ね」と言ったので,「何言っているんだ,まだ若いくせに」と部活の顧問と部員の親しみを込めて蹴った旨の部分があり,その場に居合わせた生徒の陳述書中にも,一審原告乙の冗談を受けて,あるいは冗談に突っ込みを入れるという感じで,軽く蹴った旨の部分があるのに対し,一審原告乙は,友人と話をしているといきなり蹴られた旨供述し,なぜ蹴られたのか説明がない。部活の練習中に無駄話をしたことに対する注意あるいは体罰として蹴ることは一般論としてはあり得ることであるが,証拠中の丙先生は部員に注意するために手を出したり蹴ったりすることは一切ない旨の部分に照らせば,丙教諭が蹴ったのは体罰あるいは注意の手段としてではなく,丙教諭の陳述書のとおりのいきさつであったと認めるのが相当である。
 もっとも,その蹴りの強さについては,一審原告乙は「そんなに弱くはなくて,だからといってそう強くもなかったという感じです。でもバランスを崩すくらい強かった。」旨供述しており,同一審原告が帰宅後一部始終を母親に話し,戊整形外科へ赴き診療を受け,医師にも先生に腰を蹴られた旨述べていることに照らしても,痛みを感じ,それが持続する程度の強さであったことが認められ,証拠中のこれに反する部分は信用できない。
 丙教諭としては,一審原告乙の冗談に突っ込みを入れる気持,親しみを込める気持であったとしても,教師が生徒を背後から突然痛みを感じるような強さで蹴りつけることは違法な有形力の行使である暴行に該当するというべきである。

担任教諭が授業中に席を離れた中学生を注意するためボール紙製の出席簿で1回頭を叩いたとしても、これは懲戒のための有形力の行使として許容されているとした事例(浦和地判昭和60年2月22日判タ554号249頁)

二年一組の教室(大宮市寿能町一丁目二一番地所在)へ赴いたところ、廊下側から一列目、最後部の原告甲の席が空席で、同原告だけが自席から四つほど前の席の男子生徒の傍に立つて話をしているのが見えたこと、そこで乙教諭は教室の後部出入口の戸口付近に立つて原告甲の方を向いて無言の注意を与えていたが、同原告はなかなか自席に戻らなかつたこと、原告甲は当時一三歳、身長一六〇センチメートル余、体重五〇キログラム余の健康な男子で、少年野球チームの選手をしていたが、以前から落着きがなく、授業が始まつてもなかなか席に着かなかつたり、授業中にノートをとらなかつたりする受講態度があまりよくない生徒であり、いつもは乙教諭の姿を見たときはすぐに自席に戻つていたが、この日はなかなか自席に戻らず、少し経つてから、自分の話が終つたらしく乙教諭の立つているすぐそばの自席に戻ってきたこと、そこで乙教諭は、七月の生活目標に定める規律に違反しながら素直に改悛の態度を示さない原告甲に対し、強く注意を促す意味で、片手に持つていた縦三五・五センチメートル、横二〇センチメートル、重さ約二八二グラムのボール紙製の出席簿で、立つている同原告の頭を一回叩いたこと、しかしさほど強く叩いたわけではなく、原告甲もこれによつて気持が悪くなつたり体調を崩したりしたことは全くなかつたこと、乙教諭が原告甲の頭を叩いた際、同原告が、「そんなにぶつなよ。立つていたのは俺だけではない。」という趣旨のことを言つたので(同原告の右発言の事実は争いがない。)、乙教諭は右の時間中席を立つたことを自認した他の五人の生徒に対しても、注意を促す意味で同様に出席簿で一回ずつ頭を叩いたこと、以上の事実を認めることができ、右認定に反する(証拠略)はいずれも伝聞や推測を内容とし、前掲各証拠に照らして措信し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
ところで、学校教育における懲戒の方法としての有形力の行使は、そのやり方如何では往々にして生徒に屈辱感を与え、いたずらに反抗心を募らせ、所期の教育効果を挙げ得ない場合もあるので、生徒の心身の発達に応じて慎重な教育上の配慮のもとに行うべきであり、このような配慮のもとに行われる限りにおいては、状況に応じ一定の限度内で懲戒のための有形力の行使が許容されるものと解するのが相当である。学校教育法一一条、同施行規則一三条の規定も右の限度における有形力の行使をすべて否定する趣旨ではないと考える
 そこで、本件について考えるに、甲教諭が原告甲に対して前記行為に及んだ経緯は前記認定のとおりであるところ、右認定の経緯や原告甲の反則の程度、同原告の年令、健康状態等を総合して判断するときは、乙教諭の右行為は口頭による注意に匹敵する行為であつて、教師の懲戒権の許容限度内の適法行為であるというべきである。したがつて、右行為が違法であることを前提とする原告らの本訴主位的及び予備的請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれもその前提を欠き、失当と言わざるを得ない。